プリー、あらしのあと

ナマステー。プリー・サンタナロッジの翔です。

オリッサ州・巨大台風直撃から2週間経ち、現在はもうすっかり元通り、
停電も毎日数十分〜数時間程度です。
10月24日のサンタナブログでは大嵐のロッジ内の様子を中心にお伝えしました。
今回はロッジの外、台風通過直後のプリーの街中からのレポートをお届けします。



インドでは14年ぶりの超大型サイクロン「ファイリン(Phailin)」。

直径は2400キロでフランス全土(日本の面積の1,5倍近く)を覆う規模、
平均風速は70メートル、瞬間風速は85メートルにもなったそうです。
カテゴリー5、100万人が避難、米国の気象機関が2005年の
ハリケーンカトリーナ」と比較する等、インターネット復旧後にざっと
ニュース検索しただけでワタクシ個人の想定をはるかに超えた
「エライ騒ぎだった」と判明しました。



10月13日。
昨夜のうちに台風の中心は通り過ぎたらしく、風だけはまだ暴れまわっていたりもしますが、
雨の心配は無さそうです。

めっちゃくちゃになったロッジのあれやこれや、風が止んで雨水が乾いてからでないと掃除もできないので、
ホテルサンタナとその屋上に建設中のBARの様子を見に行くことにしました。
ついでに街の状態も軽く見て回りましょう。


ロッジの屋上から



ロッジからホテルまでの数百メートル、商店街のCTロードではすでに半分くらいのお店が営業しています。
電気も水道も止まってしまっているので、飲食店は全て閉まっていました。
「今日の夕方に復旧する」
と言うインド人に
「それはもう聞き飽きたわ!」
と返し、怪訝な顔をされました。
あちらこちらで看板が外れていたり屋根が壊れていたりしています。
文字通りの掘っ立て小屋(日差しと雨をよけるためだけの物)の店舗なんかは
全損級のダメージを受けながらも、なんせシンプルなモノなので、
さっさと建て直して商売に励んでいました。



折れて吹っ飛んできた木の枝なんかはすでに大半が片づけられていますし、
ゴミや牛のフンなんかも飛ばされ流され道路はすっきり、
うーん、なんか“風景の乱雑さ”は平時と変わらんような。。

建設中のBARは無事、ホテル自体も大きな損害は無いことを確認。
プリーが聖地たる所以のジャガンナート寺院、それがもし損壊でもしていたら
さすがに耳に入るであろう、入らないという事は寺院は無事であろう、
ということで寺院周辺はパス、海沿いの村と浜辺を周ってロッジに戻ることに。


BARは無事でしたが、未だ工事は再開されていません

ホテルの受けた被害。右肩上がりのサンタナを暗示しています




14年前、1999年の10月に巨大台風が発生した際はオリッサ州だけで
約1万人の死者が出ました。
今回の台風の進路上にあるオリッサ、アンドラプラデシュの州政府は
14年前の教訓を活かし、強制措置も辞さない構えで100万人を避難させました。
プリーだけでも4万4千人が避難したそうです。
結果、今回の台風での死者は数十人、その多くが建物や樹木の倒壊によるものでした。
プリーでも高波にさらわれたり、病気の子供が避難所生活を乗り切れなかったりと、
数人の死者が出たらしいです。


プリーの北60キロの州都・ブバネ―シュワルでは11・12日の2日間の雨量が
200ミリを超え、10月の平均降水量の165ミリを上回りました。
最も被害の大きかった、プリーの南西100キロの町・ガンジャムでは、泥とわらで作られた住宅23万5000戸以上が
暴風雨や高波によって破壊されたそうです。

住宅や電気・通信インフラ、道路、鉄道、農作物は甚大な被害を受けましたが、
バトナイク・オリッサ州首相は「人的被害は最小限に食い止めた」との認識を示しました。


プリー駅周辺など水はけの悪い地区では、その後の大雨もあって
2週間経った今でも道路が冠水しています





ロッジ前の小道



プリー海辺の漁村、通称「フィッシャーマンビレッジ」は市街の住宅地に比べ
簡素な作りの家が多く、土や竹、わらだけで作られているものも多いです。
高波、暴風雨の被害を最も受けやすいこの地区の住民は、11日から
役所や学校などの建物に避難していましたが、13日の朝には大半が村に戻ったようです。


漁村にて


村に入るとやはり大きく損壊している家が多く、海岸に近づくにつれ
その度合いも数も増えて行きました。




浜辺に面したところでは、普段よりも遥かに高くなった波に
地盤を流されて崩壊した家が目につきます。




カメラを構えながら歩いていると、村民の男性に声をかけられました。

『村中ひどい有り様だ。俺の家を撮ってくれ!世界にこの事を伝えてくれ!』※

サイクロン「ファイリン」はインドの東海岸でその猛威を振るった。
被災地となったのはムンバイやデリーといった“国際主要都市”ではない。
選挙前のアメリカ合衆国南東部のような“話題性“もない。
ましてメルトダウンのような多少は関心の“賞味期限”が長い
といった事態ではない。
被災した国の外でファイリンに関する報道を目にした人は、多くはないだろう。
私がこの村のためにできることも、多くはない。
私の使命はここで起こった事実を世界に発信することだ、サンタナブログを通して。

※オリヤ語→日本語翻訳ソフトウェア:sho no-miso 0.9


漁村の住民男性


漁村の男性は家の中から奥さんを呼び、軽くポーズをとって奥さんと並び、
奥さんはあら素敵な笑顔、撮影した画像を一緒に観ておじさんご満悦、
「サンキュー、グッドピクチャー!」
どういたしまして。


あれ?



その後も老若男女問わずカメラを見るや
「ハロー、ワンフォト!」
と集まって来て、被災した家をバックにレンズを向けられた人はこちらを見てにっこり、
確かに爆撃を受けたような家はあちらこちらにあるけれど、
うーん、なんか平時と変わらんような。



14年の歳月は死傷者の数を大幅に減らし、復興をスムーズにしました。
死者数1万人から数十人へと、前回の教訓は確実に生かされたと思います。
死傷者の数字の減災を超えたレベルでの問題もあります。
災害に弱い立地に経済的に弱い立場の人が多く、被災者の多くを占める、
それは14年前と比べてどれ位良き方に進んでいるのか
ワタクシにはわかりません。
「困難な状況下でも、人々は活き活きとしている」
などといった言葉で蓋をして終わる問題ではないのでしょう。



これでまた14年間は大きな災害が無いというわけではもちろんありませんし、
もっと大きな災害が起こることもあり得ます。
正直ワタクシ、舐めていました。
目と手の届く範囲が後遺症の残らない程度の損害で済んだのは幸いでしたが、
次の保証は全くないのです。
サンタナは安全・安心が大きな売りのひとつ。
災害への備えも強化して、より一層たのしいサンタナにします。
目標は「停電しても冷たいビールが飲めるサンタナです。


14日には漁が再開され、ビーチで遊ぶ人も



台風「ファイリン」から2週間、雨季明けまでもう少しかかるらしく
大雨が降ることもありますが、いつの間にか涼しい日が続くようになりました。
明後日にはオーナー・フォクナ氏も帰って来ます。
これから迎えるハイシーズンに向けて、サンタナもプリーもノープロブレムです。
是非お越しくださいませ。





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楽しめて復興支援にもなる、みんなハッピー、ノープロブレム。