Oh!Calcutta !

一枚の写真。ヨーロッパのどこの街だろう?
美しい町並み。白亜の殿堂。



これは1930年代のカルカッタ(現コルカタ)のパークストリート。
今はマザーテレサラニと通りの名は変わってしまったが、
コルカタいちの繁華街である。
今のパークストリートを知っている人にとって、この写真の整然として
清潔な風景には、全く驚かされるのである。


大英帝国が七つの海を支配していたころ、インドは英国の宝石と呼ばれ、
カルカッタは英領インド帝国の都であった。英国は威信をかけて、都として
ふさわしい街、カルカッタを作り上げた。英国の直接支配が始まってから、
1911年にデリーに遷都されるまで、インド支配の中心として、インドの
政治、経済、文化、独立運動宗教改革、全てをこのカルカッタが牽引していた
のだ。今のインドにはコルカタを凌ぐ大都市、ムンバイ、デリーなどが
あるけれど、そもそもコルカタは他の都市とは、その始まり、成り立ちを
異とするのだ。



この建物はライターズビルディングと呼ばれる、英国直接統治以前に
東インド会社の事務員が働いていた建物である。後に東インド会社
インド大反乱の罪を問われ廃止されてしまう。この建物は英国植民地時代の
象徴であり、遺産である。建設は1777年に始まり、増築、改築を重ね、現在の
形に至るのである。200年以上の歴史は誇るが、日本のように何でもかんでも
お金儲けのために、世界遺産にしようなどという動きは見られない。


コルカタには他にもまだ、植民地時代に建てられた古い建物はゴロゴロある。
まあ、しかしインド人の手入れの悪さに、歴史的建物も壁は剥げ落ち、レンガも
崩れ落ちていることも否めないが。それでもなおコルカタの街並みには
植民地時代の歴史的重みを感じざるを得ない。


世界遺産に認定された物にしか、価値を見出さない今の旅行者にとって、
コルカタの街並みに秘められた、ヨーロッパ列強による帝国主義の爪跡や
植民地時代の歴史的重みを感じるチャンスなど訪れないであろう。


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