母なる河の向こうに

なますてー。
サンタナバラナシ、リクです。

2月に入り、一年の12分の1が終わりを告げました。

個人的な感覚でしょうか・・・

日本にいた頃、毎年12月は慌ただしいためあっという間に過ぎ去り、1月はなぜか時の流れが遅くなるように思っていました。

が、今回バラナシで過ごしていた一月を思い返すと、ものすごくあっという間に時が経ったと感じます。

おそらくこれはバラナシイリュージョンなのか・・・。

反面2月は旅行者も増えるため、忙しなく過ぎていくのではと、季節の変わり目を感じるでもなく感じています。







日本では節分も終わり、あとは春の訪れを待つのみといったところでしょうか。



節分といえば「鬼は外、福は内」と言って豆を撒いたことでしょう。




先日節分についての面白いブログを読みました。

それによれば、節分にはもとのお話があるとのこと。







  ”
  ある平和な国の一族がおり、南からやってきた一族がこの平和な国を征服しようとしました。

  いつか必ず国を返してもらうことを約束に、平和な一族は南の一族に従いました。

  それがいつなのかというと、「炒った豆が芽を出した頃」というのです。

  南の一族は平和な一族を「鬼」とみなし、「まだ豆から芽は出でないぞ。」

  と言わんばかりに豆を投げつけ迫害したとのことです。

  鬼とはいっても、もともとは平和の民。

  その背景を知らずに悪いものとみなして、追い出していいものでしょうか。

  だから僕らは、「鬼は内、福も内」と声を出すのです。

  そろそろ、平和な一族も南の一族も共存できる、柔軟性や寛容性を身につけるべきではないでしょうか。
                                                ”








うろ覚えですが、こんな内容だったかと思います。




ここバラナシは、ヒンドゥー教徒にとって最大の聖地のひとつ。

ここで行われる儀式的なものはどれもが神聖で、良いものとされています。





ここで何度か書かせていただいたように、ここバラナシで祈る人々の姿は実に清々しく、美しいのです。

その行いを良しと信じて止まず、多くのヒンドゥー教徒がインド中から訪れます。





しかしふと目線をガンガー沿いから目を移すと(移さずとも)目に付くのが、法外な値段を提示してくるボート漕ぎやマッサージ屋に占い師、各種商売人諸々や、物乞いたちです。






その、悪いとは断言できないにしても、確実に肯定視し難い要素が、ガート沿いにはいたるところに散らばっています。



当初僕がここを訪れた3年前、その、バラナシの情報量の多さに、僕の薄っぺらい道徳心は掻き乱されたものです。



ただ、今回のように時間をかけてバラナシに滞在していると、ある意味でその共存というか、両者があってこがここの魅力なのでは、とも感じてしまうのです。




もちろんボッタクリ業者の行いは許し難いものですし、物乞いについてもどうしたものかと考えてしまうことはあります。



ただ、何千年も流れるその河ガンガーは、その様々な人間の行いを見守ってき、受け入れてきたのだろうと思うと、これが寛容性なのかと納得できます。



このバラナシで良しとされるもの、良しとされないもの、両者の混沌に揉まれ、僕らなりの教訓をもしも得られたのなら、なぜこの地に呼ばれ、この地を訪れたのか、その意味を見出すことができるのかもしれません。





「鬼は内、福は内」

僕ら人間の中でも、良いもの、醜いもの、たくさんあります。

人間的なものだったり、生物的なものだったり。







そのどちらもを上手いこと共存させられるバランス感覚を掴むのに、バラナシを訪れてみても良いかもしれませんね。




バラナシ リク

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