コルカタの知られざる秘宝 ブッダの骨壷


こんにちは!
サンタナバラナシスタッフ改め、サンタナコルカタのニュースタッフゆーごです。
今日はコルカタに眠る知られざる秘宝についてお話します。


みなさん、聖遺物ってご存知ですか?
キリストの遺体を包んだトリノの聖骸布、キリストの血を受けた聖杯、キリストの脇腹を刺したロンギヌスの聖槍、キリストを磔にした聖十字架と聖釘。
どれもキリスト教では伝説級の宝物です。
ただ、これらの宝物のほとんどは伝説だけで現実には存在しないか、現存するとしても考古学上本物かどうか眉唾なものばかりです。
たとえばトリノの聖骸布は1988年、C-14年代測定法という方法で年代測定された結果、13世紀から14世紀頃の作、ということが判明しています。


でも、仏教には考古学上、高い確率で本物と考えられている聖遺物があります。
しかもそのひとつは、なんとこのコルカタにあるんです!
その聖遺物とは、ブッダの遺骨を納めていた骨壺!
え? そもそもブッダの骨なんて本当にあるのか、どうせ偽物だろうって?
いえいえ、それが本当にあるんです。


そもそも話は19世紀末にさかのぼります。
当時イギリスの植民地支配下にあったインドで、イギリス人の駐在官ウィリアム・ペッペという人物が1898年1月、ある遺跡を発掘します。
ネパールとの国境近く、ウッタル・プラデーシュ州バスティ県に位置するピプラーワー遺跡です。
ちなみにこの遺跡の近く、ネパール側にはブッダ生誕の地として知られるルンビニー遺跡があり、このピプラーワー遺跡こそブッダが幼少期から青年期までを過ごしたカピラ城(カピラバストゥ)ではないかと目されています。
ただしこの説には異論もあり、ネパール側のティウラコット遺跡こそがカピラ城であるという説もありますが。


ともあれウィリアム・ペッペがこのピプラーワー遺跡を発掘した結果、地下6メートルの地中から石製の箱を発見します。
その中には実に1000点以上の宝物とともに、灰と骨片の入ったいくつかの壺が入っていました。
そしてその壺の一つには、なんとインド最古の文字であるブラーフミー文字で「これはブッダの遺骨であり、シャカ族が奉納したものである」と書かれていたのです!
仏教経典によれば、ブッダはクシナーガラで亡くなった後荼毘に付され、位牌と遺骨はブッダを崇める8つの国へと分割されます。
そしてそのうちの一つがブッダの生地であるカピラバストゥに納められたとされています。
つまり仏教経典の記録とも符合しており、その信ぴょう性はかなり高いといえます。
ちなみにこの発掘の顛末と真贋については、ナショナルジオグラフィックチャンネルでも取り上げられています。


こうして発見されたブッダの骨壺は現在、コルカタインド博物館に収蔵されています。
コルカタ博物館はサンタナコルカタから徒歩35分、もしくは乗り合いリクシャーでサダルストリートまで行って(所要時間8分、8ルピー)、そこから徒歩3分です。
ちなみにブッダの遺骨の方はどうなったかというと、その後インド植民地政府によってシャム王室(現在のタイ王室)へと贈られることになり、現在までバンコクのお寺ワット・サケットに納められています。


しかしその一部はなんと、現在日本にあるんです。
明治33年にシャム王室から日泰友好の証として、ブッダの遺骨の一部が日本に贈られます。
そしてこの貴重な贈り物を受けた明治政府は、仏教の宗派を超えた無宗派の寺を名古屋に建設します。
それが現在名古屋にある覚王山日泰寺です。
そんなわけで、コルカタに来た際にはぜひ、インド博物館でブッダの骨壺を探してみてくださいね。


にほんブログ村 海外生活ブログ インド情報へ
ポチッとよろしくお願いします♪